「公務員、そして退職」からの続きです。

 

 平成20年3月に埼玉県職員を退職し、4月から社労士・行政書士・CFPの独立に向け出発しました。

 社労士・行政書士・CFPの独立に向けた登録や各種届出を行い、平成20年7月1日に開業しました。

 開業しましたけれど、鳴かず飛ばずで全く客足はありません。9月末までの3ヵ月間全く仕事はありませんでした。

 社会保険労務士会の会報で「年金確認第三者委員会」の調査員を募集していることを知り、さっそく応募しました。

 年金確認第三者委員会に再就職(平成20年11月)

 面接と支部からの推薦のみで合否が決まったみたいです。早速11月から調査員となり仕事に就きました。

 1日8時間、週5日勤務、給与は一日24,000円そのほか通勤手当とボーナスが付きます。

 再就職先としては最高の条件でした。そのうえ特別職の公務員として社労士・行政書士の仕事を堂々とできました。

 ただし、ここに集まってきた者は、社会保険労務士か行政書士、税理士の方もいました。

 士業は3年食えないとよく言いますが、みんな仕事がなくて集まってきたのだと思います。

 なお、社労士以外は1日15,000円だったと思いますので、社労士は恵まれていました。

 退職(平成24年2月)

 年金確認第三者委員会の調査員の仕事が少なくなり、数人の人を残して辞めざるを得なくなってしまいました。

 ほとんどの調査員は、平成24年3月末で辞めています。

 まじめでこの仕事に向いている数人のみが残ったと聞いています。

 今ではこの組織そのものがなくなったと聞いていますが・・・

ある会社の取締役に就任(平成24年3月)

 私は、以前ある会社から取締役にという話があったので、その会社の入ることにしました。

 それは不動産部門を持った建設会社です。

 ある会社と書いたのは、私はこの会社から1年半ほどで、取締役を辞任しています。その後3年ほどして事実上の倒産となってしまったからです。取締役を辞任後も従業員の方から何度か給与等で相談を受けましたが、力にはなれませんでした。

取締役を辞任(平成25年10月)

 取締役を辞任したのは、社長から社の状況を聞き、辞めたほうが良いのではと耳打ちされたからです。

今から考えると会社が大変な時に辞めて申し訳ないと思っています。あの時は早くこの会社から逃げようと

改めて社会保険労務士・行政書士・CFP事業に取り組む(平成25年11月)

 平成20年7月の開業以来、当初は仕事はなかったのですが、半年もするといくらか仕事が来るようになっていました。

 私が「年金確認第三者委員会」などで働いていたころは、妻が社労士・行政書士の仕事を役所などに何度も聞きながら、私の補助者として行っていました。

 もちろん私も土日や帰宅後に手伝ってはいましたが・・・

 他の仕事を辞めた平成25年11月頃には、顧問先なども少ないなりに持つことができるようになっていました。

 さらに「社労士・行政書士・CFP」の事業を充実させるため、ホームページやダイレクトメールなども大いに活用して顧客拡大に尽力しました。

 それから5年ほどたった60歳のころには、安定した収入が確保できるまでになりました。

 その後も順調で、PR等に尽力しなくても仕事が回ってくるようになりました。

 

 

最初の「就職しました。」へ